ボクたちが今のマンションに引っ越して来たのは
おととしの秋のことだったの。





その頃、お母さんは
初めての場所だからって、お散歩の時に毎日別のコースを
あちこち連れて行ってくれたんだけどね、


それはある寒い夕方の事だったの。


その日もはじめての住宅地を歩いていたらね

向こうの方からお爺さんがボクに向かって
「おいで〜。」
って手招きしながら呼んだの。

そこは私道で車も通っていなかったから
お母さんがボクのリードをはなしてくれたの。

それでボクがお爺さんの所に駆けていったらね。
そばに白いマルチーズのような子が立っていたの。















でも、
じっと立っているだけで、全然動かないし
よく見ると、足も震えているようだった。


あとからお母さんが来たときにね。

そのお爺さんが言ったの。
「いい子だね〜。この子はいくつだい?まだ若そうだね。」

「はい、もうすぐ五才の男の子です。」

「そうか〜、いい子だね〜。」
ってボクを撫でてくれたの。



そしてね、その白い犬を大事そうに見ながら、こう言ったの。

「こいつはね〜、もう20才を過ぎたんだよ。
大したもんだろ〜。人間で言えば100才位になるんじゃないかな。


こいつが初めて家に来たのは、生まれてまだ2週間かそこらの時だよ。
だから、大変だったよ。
人間の生まれたての赤ん坊と一緒でさ〜。

哺乳瓶でミルク飲ませて、オレが育てたんだよ。
えっ?そんなに早くに親から離して大丈夫だったのか・・・って?
大丈夫さ〜、今まで病気一つしなかったしさ。

こいつはねー、マルチーズの雑種でね、
飼い主がうっかりしている間に別の種類のとかかっちゃったらしいんだよ。

それで飼い主が困ってね、
ホラ、ちゃんとしたマルチーズだったら、貰い手はいくらでもあるんだろうけど
雑種だろー。

それで、オレの友達が貰ってくれる人探してくれって頼まれてさー。
そいつが一匹引き取って、
で、仕事仲間のオレにも一匹どうか・・・って話でさ。
(このお爺さん、何だか大工さんみたいな感じだった。)











それでさ〜
たまたまその飼い主の住んでいる湘南の方に仕事があったもんで
見に行って、そのまま貰ってきたって訳さ。

動物ってのは、最初に見たものを親だと思うっていうからさ、
それなら目の見えない内に・・・ってんでね。
2週間かそこらで連れてきたのさ。

それからは大変だったけどさ。
だけど
犬って可愛いもんだよな〜。

絶対に人を裏切らないもんな〜。
人間は平気で裏切るけどさ〜。


こんな可愛いものは世の中にいないよ。
な〜、奥さんもそう思うだろ。

この年になったってさ〜
オレがこうして日に何回か外に出してあげれば
ちゃんと一人でトイレだって出来るんだよ。
家で失敗なんかしないよ。

目も少しだけど見えてるし、
ちゃんとごはんも食べられるしさ〜。
偉いもんだよ。

オレはね〜、こいつはまだあと10年は頑張れると思ってるのさ。
オレもトシだけどさ〜、
一緒にあと10年頑張るのさ
な!」


って言って、そのワンちゃんを愛しそうに撫でながら
そのお爺さんは笑ったんだ。

お母さんもとっても感動してたみたい・・・。

でも、それから
何回かその家の前をお母さんと通ったんだけど
一度もそのお爺さんにも、あのワンちゃんにも会っていません。

きっと、時間帯が違うだけだよね。
まだまだ一緒に元気でいて、又会えるといいな・・・

と思っています。










それからね

この頃お母さんは図書館で
色々なワンちゃんに関する本を借りて読んでいますが

この間ね
本を読みながら泣いていたの。

お父さんが「どうしたの?」
って聞いたから、その本の1ページを声を上げて読んでくれました。





「捨て犬を救う街」(渡辺眞子署)の中に記載された
「パートナー・犬」1997年7・8月号併号より



19世紀にアメリカで、ある犬が射殺された。
それを訴えた飼い主の弁護人

ミズーリ州の上院議員
ジョージ・グレアム・ベストの陳述した有名な弁護論


「人間がこの世で持つ最良の友も、彼に反し敵となることがありましょう。
彼が愛情こめて育て上げた息子や娘も
親不孝となることがありましょう。

私どもが自分の幸福と名声に任せる者さえ
その信頼を裏切ることがありましょう。

人の持つ富は失うこともありましょう。
富は人が最も必要とする時に、飛び去ってしまうものです。

人の名誉は、何か一つよく思われない行為があった途端に地に落ちます。

成功が私どもと共にあるときは、腰をかがめて我々を崇める人々も

一旦失敗がその雲を我々の頭上に覆うや、
まず悪意の石を我々に投げる最初の人ともなるでありましょう。












この利己的な世の中で
人が持ちうる唯一の絶対に非利己的な、決して彼を棄てず、
決して恩を忘れたり、裏切ったりせぬ友は犬であります。

陪審員諸君、人の持つ犬は、富む時も貧に悩む時も、
健康な時も、病気の時も、その主人の味方である。

犬は冬の寒風吹き荒び、雪が激しく降るときにも
その主人の側近くにおることさえ出来れば
冷たい地面にも寝るのであります。

彼は、自分にくれる食べ物を持たない手にも接吻し、
世の荒波と闘ってできた傷も舐めてくれます。

彼は貧しい主人の眠りをあたかも王侯に対するのと同じく
番をするのであります。

他のすべての友が去っても、彼だけは残っています。
富が飛び去り、名声が粉々になっても
彼の愛情はちょうど空を旅する太陽のように不変であります。

運命が彼の主人を友もなく、家もなく、地の果てへ放り出しても
忠実な犬は主人について危険から主人を守り
その敵と戦うより以上の特権を求めないのであります。

そうして、遂にすべてが終わって、死が主人を抱き
その冷たい地面に横たわると、
他のすべての友はおのおのの勝手な方向に行ってしまっても
その気高い犬は墓の側にあって頭を前脚の間に垂れ
目は悲しげに、しかし、聡く見張って大きく開き、
死に至るまで忠実で真実であります・・・・

それでも捨てる人間と殺す現実があるのなら、
私たちは守りたい。


この演説には、裁判官も弁護士も、裁判長でさえ涙をこぼした。
評決はたった二分しかかからなかった。


っていうお話だったの。
ボクたちも死ぬまでずーっと一緒だよね、お母さん・・・。